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執筆者の写真GUEST HOUSE IOLY 庵 OSAKA

3.11

今日で東日本大震災から9年ですね。

9年というと長く感じますが、未だに元の生活に戻れないでいる人たちもいますし、今年2020年に至るまでに各地で様々な災害が起こりました。

東日本での出来事を他人事のように感じてはいけない、感じてはいられない、そう思って私は、震災翌年からではありましたが、東北地方に震災ボランティアに行くようになりました。やはり、テレビで見るのと、現地で地元の人たちとふれあうのとは大きく違いました。

初めて行ったのは岩手県大船渡で、被災者の方々に何を言えばいいのか、どうお声掛けをすればいいのか、ということを考えさせられました。何を聞いていいのか、何を聞くべきではないのか。盛岡駅から大船渡に向かう三時間のバスの中で隣に座った女性は私に何をしに大船渡に行くのかと聞いてくれ、「仮設住宅にお住まいの方のための物置を作るんです」と答えたら、「私、仮設(住まい)です。」と彼女が答えます。何を聞いていいのか。何を聞くべきでないのか…。長時間のバスの中、チョコレートを分けてくれたり、バス停の名前のトリビアを教えてくれたりしたあなたは元気にしているでしょうか。あのとき言っていたとおりに役所にお勤めでしょうか。

その後、宮城県仙台市、宮城県石巻市、宮城県女川町、岩手県陸前高田市、福島県郡山市三春でボランティア活動に従事しました。女川沖の出島(いずしま)では、地元のおばちゃんたちが我々ボランティアたちに、一個一個とても大きなホタテを、これ以上食べられないくらいの量、焼いて食べさせてくれました!陸前高田では、移動車で焼きそばを作って売っているおばちゃんと話してみると、その方は大船渡の方でした!大船渡に私も以前行きました、と話しが盛り上がったものでした。

仙台、石巻、三春のシェルターのワンちゃんたちは元気かな?三春のシェルターからはしばらく経ってハガキが届いて、ワンちゃんニャンちゃん全員引き取られたのでシェルターが閉鎖になったという、喜ぶべきであろう知らせが書いてありました。みんな、いい引き取られ方をしていればいいけど。ただ、ここのシェルターのワンちゃんの中には、福島原発20キロ圏内から保護された子もいて、人間不信な子や、体に傷を負った子もいました。

その後、熊本地震があり、各地で水害があり、日本各地が被災してしまいました。もう、誰にとっても他人事ではなくなりました。日本だけではなく、他の国や地域でも地震や津波に被災したところもあります。

初めて震災ボランティアに行った年、岩手県と宮城県でボランティア活動をして、その帰り道に寄り道して福島県会津若松に立ち寄りました。その時点で私はまだ福島県ではボランティア活動をしていなくて、会津若松には観光として、文字通り寄り道で立ち寄ったのでした。その夜、ひとりで会津若松の街の炉端焼き屋さんに入り、カウンター席の角に座り、飲み食いしました。そのうち、私の右のお一人様のおじさんと、私の左側の若者三人組と、私とで会話が始まりました。私が他の地方からボランティアに来て、宮城と岩手で作業してきたと伝えると、その若者三人組は「ありがとう」と言ったのでした。私は衝撃を受けました。宮城と岩手でボランティア活動したという私に、福島の人たちがありがとうと言うのです…。逆に感動しました。逆に私の方がかけがえのないものをもらった気がしました。



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