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執筆者の写真GUEST HOUSE IOLY 庵 OSAKA

気仙沼から太子町へ。

ゲストハウス庵(いおり)大阪 に、男性お一人ご一泊の予約が入りました。

翌朝のチェックアウト予定時間は午前4時!

これは、お見送りに起きるのも早い時間になりますな~と覚悟しながら当日を迎えました。


予定より早めにチェックインされたその男性は、上下のつなぎのような服装で、お仕事の前後でそのまま投宿されたような出で立ちでした。午前4時にチェックアウトというのはお仕事が早いのでしょう。


「明日、朝が早いんですね!」と伺うと、しかし、「いいえ、仕事だったんですが、明日、無しになりました。」と彼。

「ま、でもせっかくだから泊まりに来ました。☺」

と、彫りの深いお顔に大きい目をした彼はフレンドリーそうに言ってくださいました。


そして、チェックイン・シートにご記入いただくと、記入された住所は太子町。ゲストハウス庵がある藤井寺からはスグの町です。ちなみに、この太子町、その名前は聖徳太子に由来するもので、聖徳太子のお墓の古墳があります。また、その付近には小野妹子のお墓や当時の天皇の古墳がいくつかあります。


近くにお住まいでありながらゲストハウス庵に予約され、お仕事がキャンセルになっても投宿されるのは、その夜、以前、東北で知り合った方と藤井寺で再会して飲みかわす予定があるからだとのもと。「飲む予定があるのでちょうどよかったです」と、ゲストハウス庵の立地の利便性を感じていただけました。


チェックインの後で外出され、お知り合いの方を時間を過ごされてからその方がゲストハウス庵に戻られたときには缶ビールが二本入ったビニール袋を手に持っておられました。

「どうですか?」と、私に勧めてくださいました。


なんでも、この方は東北の気仙沼のご出身で、東日本大震災で被災され、お母様とお姉さまと三人でこちらに移住して来られたそうです。

ご実家の家は被災しなかったそうですが、避難先として東北以外の地方を探して、インターネットで受け入れ先を探したところ、大阪府の太子町を見つけたそうです。


震災後の数年を太子町で過ごし、その後、気仙沼に戻ったそうですが、この方のお母様は太子町での数年間の間に太子町のコミュニティーに溶け込んだそうで、ふたたび太子町に戻ってこられたとのことです。この方も、お母様とは違う時期になりましたが、気仙沼に戻り、さらにその後、太子町に再度戻ってこられたそうです。


そんなこの方、今では太子町の観光業に携わっておいでだそうで、ゲストハウス庵に宿泊された次の日にはテレビ番組の取材を受けることになっている、とのことでした!


宿泊された夜に再会された方とは、気仙沼のゲストハウスで知り合ったそうです。


太子町にある叡福寺。2020年7月撮影。

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