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執筆者の写真GUEST HOUSE IOLY 庵 OSAKA

松原の宣教師



さらに話は進み、このご夫妻、東日本大震災の直後から毎年、宣教師として東北の被災地でボランティア活動をされてきたそうです!中でも特に被害がひどかった宮城県石巻市の大川小学校での出来事を話してくださいました。

私は大川小学校に行ったことはありませんが、震災翌年に宮城県東松島市の被災した小学校の校舎の三階で寝泊まりしてその近辺でボランティア活動をしたことがありました。その小学校の一階だったか二階だったかの校舎の中の階段の壁に津波が到達した高さまで跡ができていたのを覚えています。

そのご夫妻と楽しくお話しをした数日後、ゲストハウス庵のブログ記事を書いていました。ゲストハウス庵の英会話レッスンの生徒さんについて書いていて、英語力が「伸びる」と書こうと、パソコンで「のびる」と書いて変換! そして画面上に出てきた変換候補を見て驚きで固まっていしまいました。そこには、「伸びる」「延びる」「野蒜」とあったのです。それを見て私の記憶は8年前へと遡りました。私が寝泊まりした東松島市の小学校は、野蒜小学校といったのでした。

思い出した喜びと、名前を忘れていた歯がゆさと、今はどうなっているのだろうかという思いで、野蒜小学校をインターネットで検索してみました。すると、「かつて東松島市にあった公立小学校」とあります…。2016年3月で統廃合となったそうです…。

さらに大川小学校も検索してみると、こちらも同じ結果でした。こちらは2018年3月まであったそうです…。

震災がきっかけとなって県外の人たちの知る所となった小学校が、震災で人口が減ったことで統合されることになるとは、皮肉なものです。

写真は、石巻市の石ノ森章太郎萬画館です。

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