top of page
  • 執筆者の写真GUEST HOUSE IOLY 庵 OSAKA

とある高校の変遷

あるとき、ゲストハウス庵(いおり)大阪 に電話でお問い合わせがありました。

大阪府柏原市のとある高校の先生からで、その高校の留学生一人を宿泊させてほしいとのことでした。


その高校三年生の男の子は、中国からの留学生で、日本の大学で映像を勉強したいとの思いがあり、それに備えて高校から日本に留学しているとのことでした。

中国のどこから来たのかと聞くと、広東省の東莞市というところの出身だそうです。香港と深圳の間に位置していて、今やハイテク産業の都市だそうです!


大阪府柏原市は、当館がある藤井寺市から川を隔ててすぐ隣にあり、川の向こうになぜか藤井寺市の飛び地もあるぐらいです。

当館滞在中は自転車で柏原まで通学するとのことで、自転車でチェックインされましたが、

チェックインの次の日の朝に私が二階から降りてみると彼が制服姿で風呂場から出てきて、髪はボサボサ。

「自転車の鍵が無い!!」

と、てんやわんやしているところでした。😆


最初にその学校の先生からお電話をいただいたときに私はその高校を知らなかったので、後でインターネットで検索してみました。

インターネットのマップでその位置を知り、当館からの通学のアクセスを把握したのですが、同時に、ウィキペディアでその高校の沿革なども見てみました。

すると、この学校、1960年代の創立当初は女子校だったそうです。

それが、理由は分かりませんが、一年後には共学に変わり、その数年後には男子校に変わっていました。


さらに、ウィキペディアの同じウェブページで、その高校出身の有名人を見てみると、様々な分野で活躍する多くの有名人を輩出しているようです。さすが大阪です!

その多くは、私のあまり明るくない分野であるスポーツ選手でしたが、私も知っている有名人が二人いました。一人は間寛平!もう一人は、はるな愛! スゴイですね~!


しかし、そこで私は、はるな愛!?と不思議に思いました。


この高校が女子校だったのは最初の一年だけで、共学だったのはそれから数年だけだったのに、はるな愛はこの学校に一体いつ通ったんだ!?

そんな年齢でもないだろう、と首をかしげていて思い出しました。


当時、はるな愛は男子だったんですね…。☕




東莞市



写真はイメージです

閲覧数:49回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comentários


bottom of page